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恒心文庫:恵方巻き製造事務所

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本文[編集]

今年の恵方は丙の方角、すなわち南南東、東京虎ノ門を起点とすればレインボーブリッジの方角である。
ここ虎ノ門のとある事務所では、窓側の陽光がたっぷり射し込む特等席に陣取る机の上に、立派な太巻きが出現していた。
否、太巻きだけではない。レインボーブリッジもまた架橋されている。
白い荘厳たるもみあげを蓄えた老人が小柄な体を懸命にそらせブリッジをしているのだが、右脚左脚胴体の主要幹線道路が交わる三叉路に、
スカイツリーもかくや、と思わせる太巻きが堂々とそびえ立っているではないか。
太さはごんぶと、色は佐賀有明の海苔にも劣らず黒黒とし、酢飯のような酸っぱい匂いを放ち近寄る者を誘惑してはその食欲をそそる。
太巻きとレインボーブリッジの一人恵方巻きを体現する老人の横には、もう一人小太りの男が立っていた。
右手には鋏を持っている。
鋏を太巻きの根元に当てると、そのまま手を閉じジョキンと太巻きを切り取る。
そして切り取った太巻きを、側においているプラスチック製のパック容器に入れる。
しばらくすると、レインボーブリッジの三叉路にニョキニョキと太巻きが出現し、これを小太りの男がやはり切り取りパック容器に入れる。
男の足下をみると、太巻きが詰まったパック容器が何十何百と積まれているではないか。
どうしてこのようなことになったのか。

そもそも老人と男とは親子であり、ここ虎ノ門の地にて士業を営んでいた。
ところがひょんとしたことから客足が途絶えると、生活が苦しくなる。
自分たちのオシメ代やいちじく浣腸代が家計を圧迫する。
ついには事務所の最寄りの駅のホームにある飲料用の水道の蛇口を肛門に突っ込み栓をひねって浣腸代わりにして耐え凌いだこともある。
しかしとうとう老人が耐えかねて数十年来のとある友人にこの窮状を訴えると、だったら太巻きを売ればいいと黒いもみあげをいじりながら友人は言う。
助言代として少なからぬ金銭を支払い、かつ太巻きも老人たちが直接売るのではなく、一旦黒もみの男に卸して彼から売れた分の何割かをもらうということにした。
老人も小太りの息子も、太巻きは切っても生えてくる。
しかし、生えてくるというのは経験によった帰納的推論に過ぎず、ある時点で生えてこなくなるかもしれない。
老人だって孫の顔がみたい。小太りだって童貞を卒業したい。
というわけで老人の太巻きが出荷対象となり、息子が鋏で収穫を行っているのだ。

老人はこの仕事に虚しさを感じたことはない。むしろやりがいを感じている。
コンビニの棚に恵方巻きとして並ぶ自分の太巻きを購入する人々を見ては、ちょっぴり誇らしげな気持ちになるのだ。
恵方巻きを頬張るなら、老人の顔を思い浮かべてあげれば、彼もきっと喜ぶだろう。
今年の恵方は丙の方角、南南東。
いつから始まったともしれぬエセ伝統ではあるが、幸せを願い老人の太巻きをくわえて損なことなどきっとない。

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